Interview
自然に対し、環境負荷がなく持続可能な事業展開を行う
株式会社 アドバンス 代表取締役
白井博隆
持続可能な世界をめざす国際目標「SDGs」の取り組みがいま世界で広がりを見せています。作物の栽培において、土壌の修復を行い自然環境を回復させる環境再生型農業への注目が集まっています。95年から20年以上にわたり、田七人参の有機栽培を行い自然環境に負荷をかけない栽培を続けている「白井田七。」の白井博隆にアドバンスの理念に繋がる話を聞きました。
有機栽培や土壌に興味を持ったのは、慣行栽培に対する違和感が始まり。
——自然に配慮する栽培のきっかけ
田七人参を栽培する前から、土壌について勉強をしたり、人体に影響のない農薬に変わるものがないか、一時期ものすごく興味を持って書籍を読んだり調べるなどしていました。家がりんご農家だったので、農薬を使用する前と後の畑を両方見て育ったことが大きいと思います。
子どもの頃は牧歌的で、家でヤギや牛を育てながら畑のたい肥にしたり、肥溜めもありました。そのうち、農薬や化学肥料を畑に使い始めるようになって行くのですが、違和感を感じていました。その時の違和感が、なぜ昔はたい肥や肥溜めを使っていたのか?という興味を持つきっかけになったと思います。
昔は牛糞をたい肥にして土に入れていていました。土を発酵させる力や、腐敗しないようにする天然の抗生物質のような滅菌作用、光合成細菌などが入っている完熟たい肥を使っていました。たい肥と共に入れる有機物は、米ぬかやワラを入れていました。その土には発酵や合成分解をする力がありました。そういうことを調べて、田七人参を無農薬で栽培するための微生物資材を準備しました。
今は有機栽培もSDGsの取り組みも広がっています。数年経てば生産地の中国でも、アドバンスが田七人参の有機栽培をやってきたことが、今になればよくわかるという話になると思います。漢方の生薬の中には、田七人参よりもっと簡単に有機栽培をできるものがたくさんあります。これから生薬全体に、有機栽培の動きが起きたらいいなと思います。
100年続く本物の田七人参をつくる。
——白井田七。100年ビジョン
95年から田七人参の栽培を行う中で収穫できない期間が10年ありました。もし10年で終わってしまうものならそもそも事業として成立しません。ここまで栽培に苦労するなら、100年続くように本物の田七人参を作らないといけないと思いました。
もしかしたら、田七人参にとって100年という時間は短いかもしれません。1500年前の薬学書にも載っているものなので、すでに何百年も続いてきた田七人参ですよね。その内の100年を我々が頑張るというのは、中国の600年から言わせてみたら気が弱いんじゃないのと言われるかもしれません。(笑)
「安全であること」は、人間が本能的に持っているもの。
安全で心理的負荷のないものを食べたいというのが能力だと思う。
——有機栽培のはなし
なぜ私たちが有機でつくられた安全性の高いものを求めたり、良いと思うのかという定義は漠然としています。
りんごの皮の表面を家庭用洗剤でピカピカに洗った残留農薬を取り除いたりんごと、オーガニックのりんごどちらを食べたいかと聞かれたとして、同じ条件で購入できるならオーガニックが良いとなるのではないかと思います。
「安全であること」は、人間が持っている本能的なものです。製品の保存試験を行う際に、官能反応で物事を決めます。人間にとって問題がないかを決めるのですが、動物でも口の中に入れるのは、毒になるものは入れないといわれます。放牧されている牛は毒のあるスズランを食べません。そういう能力がわずかでも残っているなら、人間もより安全で心理的負担のないものを食べたいというのが能力だと思います。
しかし有機なら全ていいかといえば、そうでもない側面もあります。有機栽培のりんごを作っていて、そこそこ甘いものは出来るのですが、慣行農法のりんごを食べると蜜はのっているし、糖度は高いし、玉は大きく色も真っ赤です。うちで作る有機のりんごはサイズも小さく、霜が降る前にはりんごの木が根を守るために、自分でどんどん実を落としていってしまいます。しかも無農薬のりんごは虫から実を守るために皮の固いりんごになります。
有機を拡大していくと「自然なりのもの」自然のものということです。何もしない状態で木になったもの、野生の鳥のたまごという話になってきます。養殖でない魚とか、これらを人間が食べると、どれもあまり美味しくないですよね。会社でやっていた自然卵も、色が薄くて見た目もさほど良くないです。
悲しいですが、有機のものは経済面での側面がまだ強くあります。経済ではなく自然のものに対して、有機の定義をするとしたらもっと変えていかないといけない部分があります。
田七人参であれば有機栽培の認証を得るところから、さらに高みを目指さないといけないとなる一方で、有機のたまごを美味しいと言ってもらうために、コレステロール値を高めて人間が食べて美味しいとなるものにするか、鶏だったら本来これしか食べないというものだけで育てるかは、同じ有機に対して生産者の位置取りは違ってくると思います。有機栽培は大衆迎合してしてしまってはできない。自分の意識はここにあるんだと決めてやるしかないと思っています。
——アドバンスの理念「調和」について
有機栽培の話と連動しますが自然と向き合う時、人間と自然のどちらかが優勢であってはならない、どちらかというと自然優先でありたい。調和をとることは、独りよがりであってはいけないと思います。
なぜ調和なのかというと、私たちは生きている限り自然環境からもらってばかりで、何も返していません。人間は木の実・お米・野菜・卵・牛や豚など、自然から恵まれたものをただ食べ尽くしているだけです。一方で、自然に対して生み出すものは何もないのです。
これから人口増加で急激に人が増えていった場合、このままでは食糧難で終わってしまいます。どこかの時点で、自然と向き合い調和をとらないと共存はできません。そのために私たちは、自然に対して何を返していくのか?ということをやらないといけません。
調和には生きていく上での調和があり、自分自身と向き合う「精神的調和」と物理的に向き合う「自然との調和」この2つに分かれます。
一番初めにやらないといけないのが、精神的に向き合う自分との調和です。他者とのトラブルが多い時は、自分が自分自身を分かっていないという状態です。
本来、表現しなければいけないところでしていなかったり、表現してはいけないことをしてしまったり、一方でうまくいかない時に人や環境のせいにしてしまったり。こういうことは、誰でも経験することだと思います。その時に、問題の起点は自分にあると考えてみるとかなり解決できることがあると思います。初めて自分に向き合うことが、自分と調和を取ろうとすることだと思うんです。
自分と向き合わなければ人のせいにし続けますよね。そうではなくトラブルや嫌なこと、楽しいことがあった時に自分と向き合い、なぜ起きたのかを考えます。良かったこと悪かったことを振り返ることで今度は自分との調和から他者との調和になり、相手のことを考えられるようになっていきます。その人間関係から関係性が成り立ち、他者と共存できるようになって周囲との調和ができるようになります。
例えばとんかつを食べたいとなったら、その肉はどこからきているのかとなります。誰かが肉の状態にしてくれているのです。人間は自分たちの欲望を満たすために動物の命をいただく、すると感謝が始まるんです。必要以上にとってはいけない、命をいただくことに感謝をしようとなる。そうすると自分たちが生きていくことに対してきれいにいただくことが大事になるわけです。
そこに考えが至ると、お米や木の実など主食としているものはどこから来るのか?となります。自然から恵まれている、そのお米や木の実が穫れなくなる、食べられなくなる、農産物が出来ないような自然環境になったら、生きていけなくなってしまうわけです。すると、生きていることは自然に生かされているという話になります。
自然に感謝してお返しをしていかないと、持続可能な世界には絶対にならない。どこまでも向き合って調和を取り続けて行かないと人間だけが経済を回しているとか、自然のことは関係ないと今までやってきていたが、自分と向き合う自分自身の調和、他人と向き合うことによる他人との調和、自然と向き合う調和。これらのバランスを上手くとることが大事なことだと思います。
こういう事を考えられる人たちのチームであれば仕事はうまくいくだろうし、必ず人として尊敬をして尊重をして生きていくいい人生になるのではないかと思います。